マッチ擦るつかのま海に
霧ふかし身捨つるほどの
祖国はありや
青森県出身の寺山修司がこう詠んでから60年。禁煙が広がり、マッチ自体を目にする機会も減っている。寺山が歌を詠んだのと同じころ、青森市出身の板画家・棟方志功は、生涯愛した同市の酸ケ湯温泉で、マッチ箱の装丁をデザインした。時代の波に押され、この酸ケ湯マッチもまた姿を消したが、志功が残したデザインは同温泉内に息づいている。志功は主にねぶたの時期、毎年のように酸ケ湯温泉に滞在、多くの作品を置き土産のように残した。マッチ箱の装丁もその一つだ。1960(昭和35)年に同温泉に提供。マッチ箱サイズ(縦約5.5センチ×幅約3.5センチ)の倭画(やまとが)で、薬師如来や八甲田、紅葉、入浴する女性などが描かれた7種類。絵を包む紙には志功自身の手でA~Gまでアルファベットが振られ、一枚一枚に「志功」の名と印が押してある。「八甲田山 すかゆ まっち装」と書いた紙も同封され、志功が当初から「酸ケ湯で配るマッチ箱」専用に制作したことがわかる。同温泉の間山良輔常務(65)によると「1954(昭和29)年に酸ケ湯が国民保養温泉第1号に認定され、志功はそれを大層喜んだ。ポスター用に、館内に飾るために-とたくさん作品を提供してくれた」という。客室の備品として人気を集めたが、館内禁煙化が進み需要が減少。数年前に設置をやめた。現在は、同温泉社員の名刺にデザインを使用している。間山常務は「お蔵入りさせるにはあまりにもったいない。時代に合った活用方法を探し、光を当てていきたい」と力を込めた。