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                           5月5日
                         青森春フェスティバル
                           いざ
                           出陣ダア~



1976年6月26日に「格闘技世界一決定戦」と銘打たれた戦いでアリ氏と対戦したアントニオ猪木氏(73)が4日、都内のホテルで緊急会見を行った。1歳年上の盟友の死を悼むとともに友情に深く感謝。引き分けに終わった世紀の一戦が自らの人生を大きく変えたことを強調した。トレードマークの赤いネクタイとマフラーを“黒”に変えて会見場に登場した猪木氏は「元気ですかー!!」と絶叫。続けて「元気があれば、旅立ちもできる。ご冥福をお祈りしたい」と独特の表情で哀悼の意を示した。
40年前の6月26日にアリ氏と戦ったことが自らの人生を変えた。当時、アリ氏が「俺を倒す東洋人の格闘家はいないのか!?」と言った言葉を真剣に受け止めた猪木氏が関係者を通じて「応戦状」を渡し、夢の異種格闘技戦が実現。歴史に残る一戦について「出会うべくして出会った。偶然なのか必然なのかというと、必然。アリはボクシングの現役王者だったので、俺が挑戦状を叩きつけた時に新聞には売名行為と出た。でも、いろいろな事情があってお互いの後ろにあるものがあり、必然で実現した」と振り返った。世界が注目した世紀の一戦の結果は引き分け。「俺は“何が何でも倒してやる”という気持ちだったが、向こうは向こうで“お遊びだ”と発言した。でも、そんなことはあるわけがなく、それは彼の照れ隠しであり、そう言わざるを得なかった」。試合後、アリ氏の結婚式に招かれて米国に出向いた際に「お互いあれ(引き分け)で良かったな」と直接言われたことがいまだに脳裏に焼き付いており「その時に素直に認め合い“あんな怖い試合はなかった”と彼が言ってくれた。俺自身も大変な緊張と興奮で怖さがあった」と懐かしんだ。現在は参議院議員を務め「あの試合のおかげで名前が世界に売れて外交をやれている。どこに行っても“アリとやった”という説明があると相手が姿勢を直す」と世紀の一戦は政治の世界でも財産となっている。自らの人生に影響を与えた盟友に対して送るメッセージを問われると、こう答えた。「元気に旅立てよ。俺はいつ迎えにきてもいい。ただ自分の中でアリは私の1年先輩で、アリに見送ってもらうのは嫌だったし、アリを見送った方がいいと思っていた。それが現実になってしまった。葬儀があれば参列したい。とにかくお疲れさまでした」。友情は永遠に続くに違いない。

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