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五木ひろし  山口洋子  平尾昌晃

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    え~~え
    しらなんだ
    こりゃ
    大変だ
    カラオケでも
    山口作品を歌う事が
    昔からのファンは
    多いんだよな
    ご冥福をお祈り申し上げます(涙)


作詞家で直木賞作家の山口洋子(やまぐち・ようこ)さんが6日に呼吸不全のため亡くなったことが明らかになって一夜明けた16日、ヒット曲の数々を提供された五木ひろし(66)が和歌山県内で公演した。みとれなかった後悔をにじませ「私をこの世に誕生させてくれた人」と感謝。「よこはま・たそがれ」などの山口作品を歌い「これからも大切に歌っていく」と声を震わせた。
序盤で「よこはま・たそがれ」「待っている女」「ふるさと」「ふたりの旅路」「愛の始発」と山口作品5曲をメドレーで歌うと、熱いものがこみ上げてきた。「今、こうして歌えているのは山口洋子さんのおかげです。売れない私をスカウトして、五木ひろしという名前を付け、“よこはま・たそがれ”という作品を作ってヒットさせてくれたから、今がある」とつとつと話しながらも、時折声が震えた。「人生最大の恩人」と言い切る山口さんの突然の訃報に「あらためて言いたいことはいっぱいあった。ありがとうと言ってお別れしたかった」と悔やんだ。客席からはすすり泣く声も漏れた。「五木ひろし」としての再デビューのきっかけとなる「全日本歌謡選手権」で山口さんと出会って45年。一番の思い出として挙げたのは、76年に劇場公演と米ラスベガス公演の時期が重なり、多忙を極めた時だ。「あまりの忙しさに一度だけ文句を言った。でも山口さんは“それを望んでいたんでしょ”と諭してくれた。忙しいことは幸せなんだと。今も忙しい日々を送っているけど、幸せなこと」山口作品を歌い直して発売する計画が進行中だったことも明かした。実際、すでに1曲レコーディングを終えており「完成した作品を山口さんの元に持参してあらためて感謝の気持ちを伝えたかった。まさか届けられなくなるとは夢にも思わなかった…」と肩を落とした。公演は、日本レコード大賞受賞曲「夜空」で始まり、「別れの鐘の音」で締めくくった。ともに山口さん作詞で、五木は「山口さんの歌は私の原点。これからもずっと歌い続けていきたい」と誓った。




直木賞作家で作詞家の山口洋子(やまぐち・ようこ)さんが、6日午前1時6分、呼吸不全のため、入院中だった都内の病院で死去していたことが、15日、分かった。
山口さんが作詞したシングル「よこはま・たそがれ」「夜空」などを歌った歌手の五木ひろし(66)は訃報に言葉を失った。五木は「あまりの突然の知らせに動揺しています。言葉になりません」と絶句。山口さんの誕生日にあたる毎年5月に花を贈ると写真入りでお礼状が届いたといい、「今年も元気そうな写真が届いていたので、まさか…という心境です」とショックを受けた。山口さんの作詞で75年発売のシングル「千曲川」では、第17回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。五木は「山口先生は僕にとって恩人です。山口さんと出会わなければ、今の五木ひろしはなかった。私の姉と同い年でしたので、恩師で姉のような存在でした」と振り返った。最後に顔を合わせたのは、07年11月8日に行われた平尾昌晃氏の作曲家生活40周年記念コンサートの会場だった。山口さんが再会に涙していたことが印象的だったという五木は「たくさんのいい作品を後世に残すこと。それが何よりの恩返しです」と言葉を絞り出していた。


作詞家で直木賞作家の山口洋子(やまぐち・ようこ)さんが6日午前1時6分、呼吸不全のため亡くなった。77歳だった。告別式は近親者で済ませた。喪主は妹、安原多恵子さん。名古屋市出身。東映の第4期ニューフェースに選ばれたが、女優の道をあきらめ、東京・銀座でクラブ「姫」を開店。その後作詞を始めた。「よこはま たそがれ ホテルの小部屋」の歌い出しで有名な五木ひろしさんの「よこはま・たそがれ」が、1971年に大ヒット。五木さんはこの曲をきっかけにスターの座をつかんだ。
男女関係の機微を象徴的な言葉を使い、巧みに表現した。五木さんの曲では「長崎から船に乗って」や「千曲川」、日本レコード大賞を受賞した「夜空」なども作詞。中条きよしさんの「うそ」、石原裕次郎さんの「ブランデーグラス」、山川豊さんの「アメリカ橋」なども手がけた。
小説も執筆し、84年に「プライベート・ライブ」で吉川英治文学新人賞。翌年、「演歌の虫」「老梅」で直木賞を射止めた。クラブ経営で身につけた人間観察力を生かし、「夜の底に生きる」「愛されかた知ってますか」などの小説、エッセーを多数発表。96年には、「姫」の歴史をつづった「ザ・ラスト・ワルツ」を発表した。また、プロ野球選手や芸能人などとの幅広い交友関係でも知られた。
昨年1月に誤嚥(ごえん)性肺炎で入院。入退院を繰り返していた。5日未明、容体が急変したという。


演歌歌手・五木ひろし(66)の「よこはま・たそがれ」などの作詞で知られる直木賞作家の山口洋子(やまぐち・ようこ、本名同じ)さんが6日午前1時6分、呼吸不全のため都内の病院で死去していたことが15日、分かった。77歳だった。19歳で銀座に高級クラブ「姫」を開業し、ママとして働きながら文筆業でも才能を発揮。夜の男と女の機微を知りつくし、「うそ」「ブランデーグラス」など数々のヒット曲を生み出した日本一のマダムがこの世を去った。「よこはま―」を始め、73年にレコード大賞を受賞した「夜空」や「ふるさと」などの提供を受けた五木は「驚いています。信じられない気持ちでいっぱいです」と肩を落とした。出会いは45年ほど前。前の芸名だった時代に出場した「全日本歌謡選手権」の審査員を山口さんが務めたのが縁だった。目を付けた山口さんが「五木ひろし」の芸名を付け、「よこはま―」を歌うことに。「出会いがなければ、五木ひろしは存在しませんでした」と“生みの親”の死を悔やんだ。山口さんは五木の姉と同年齢で「仕事を離れた時は、まさに家族のようにお付き合いさせていただきました」と、公私にわたって交流が深かったという。「私が命ある限り、山口さんと一緒に歩いて行くという思いでいっぱいです」と声を振り絞った。

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